
僕は形成外科専門医です。
最近、職場で
「先生、『ダウンタイム』見ましたか?」
と聞かれることが増えました。
Netflixの美容医療を題材にしたドラマ『ダウンタイム』。
僕もちょうど妻が見ていたので、最初は仕事をしながら横で「ながら見」していました。
ところが気づけば作業の手が止まり、
「ながら見」から「本気見」へ。
何がそんなに面白かったのか。
役者さんの演技力ももちろんですが、思っていた以上にちゃんと「ヒューマンドラマ」だったことが大きかったように思います。
医療ドラマは、どこまで現実的であるべきか
SNSを見ていると、専門家から
「局所麻酔でその脂肪吸引は……」
とか、
「監修はどうなっているんだ」
といった指摘も見かけます。
でもこれは『コード・ブルー』でも『コウノドリ』でも『医龍』でも、おそらく同じことです。
医療者が見れば、
「いや、そこは現実ではそうならない」
という場面はどうしてもあります。
僕は医療監修というものは、すべてを完全に現実へ寄せるというより、
あまりにも現実離れした方向へ行かないようにブレーキをかける役割
なのではないかと思っています。
もちろん、これは僕の想像ですが。
実際の医療を忠実に再現しすぎれば、それはそれでドラマとしてのテンポや面白さが失われる。
現実とエンターテインメントのバランスは、きっと非常に難しいのでしょう。
なので医療者ではない方には、
「これはあくまでエンタメ」
くらいの距離感で楽しんでもらうのがちょうどいいのかなと思います。
「神の手」は存在するのか
医療ドラマには、しばしば「神の手」を持つ外科医が登場します。
では、現実の医療に神の手は存在するのか。
少なくとも僕は、
本当の意味での「神の手」は存在しない
と思っています。
そもそも医療がすべての人のためにあるものだとすれば、
「この先生にしかできません」
という医療より、
ある程度訓練された術者であれば、どこで受けても一定の結果に収束する治療のほうが望ましい。
再現性のある医療ですね。
ただし、手術には間違いなく難易度があります。
そして経験がものをいう場面もあります。
非常に難しい症例を長年扱ってきた人にしか見えないものもあります。
それを「神の手」と呼ぶのか。
僕としては少し違うと思っていますが、一般の人から見れば、それに近く見えることはあるのかもしれません。
美容医療では、むしろ「この医師にしかできない」が価値になる
保険診療では、
どこでも一定水準の医療が受けられること
が理想です。
一方、美容医療は少し事情が違います。
「このクリニックでしか受けられない」
「この先生にお願いしたい」
という独自性が、そのまま集客につながります。
だから美容医療の世界を見ていると、
各クリニックが「自分たちは何が違うのか」を打ち出すことに、とても苦労しているように感じます。
属人性を減らしたクリニックであれば、立地や価格、ブランド、システムで競う。
逆に医師自身がSNSを発信して、ファンを作る方法もある。
派手な広告をせず、経歴や症例を淡々と積み上げ、「欲をかかないこと」そのものをブランドにしている医師もいる。
『ダウンタイム』に登場する遠山クリニックも、かなり「医師個人」に患者が集まるタイプとして描かれています。
だから最後には……。
これはネタバレになるのでやめておきます。
美容医療にはいろいろな経営戦略がある。
僕はそこから少し距離のある立場なので、そういうところを冷静に眺めるのも結構面白かったです。
形成外科専門医なら、美容外科手術も上手なのか
このドラマをきっかけにSNSで話題になっていたのが、
「形成外科専門医なら、すぐ美容外科手術も上手にできるのか」
という話です。
「結局は個人差です」
と言ってしまえば、そこで話は終わってしまいます。
なので、少し偏った立場からもう少し踏み込んでみます。
形成外科医は、かなり広い範囲で「顔」を扱います。
たとえば耳下腺腫瘍など、顔面神経を意識しながら組織を剥離する手術。
眼瞼下垂症。
顔面骨骨折。
顔面の悪性腫瘍の切除と再建。
顎変形症の骨切り。
先天奇形に対する顔面骨手術。
もちろん施設や医師によって経験している領域にはかなり差があります。
それでも形成外科という診療科そのものは、
顔を皮膚だけではなく、皮下組織、筋肉、神経、血管、骨まで立体的に見る科
ではあります。
美容だけを専門にしている医師と比較すると、少なくとも「見てきたものの幅」はかなり広くなる可能性があります。
見てきたものの多さは「解像度」をあげてくれます。
その「解像度」は組織の牽引、剥離や切開における微妙な力加減や方向の差を生みます。
それが「仕上がり」の差に出ないことも多いのが現実ですが・・・
では、フェイスリフトは形成外科医のほうが上手なのか
『ダウンタイム』では、フェイスリフトが非常に難しい手術として描かれています。
これは確かにそうだと思います。
どこまで剥離するのか。
どの方向へ引き上げるのか。
どの組織を使って固定するのか。
そして何より、美容手術なので「治ればいい」ではありません。
傷跡、左右差、輪郭、自然さ。
仕上がりまで含めれば、かなり難しい手術です。
では形成外科医のほうが美容外科医より上手なのか。
これはそう単純ではありません。
形成外科で幅広い解剖や手術を経験した医師は、より深いところまで理解できる可能性があります。
一方で手術は、やはり「数」によって洗練される部分があります。
年間何百例も同じ美容手術をしている医師なら、その術式について非常に高い完成度へ到達していることも当然あるでしょう。
結局のところ、
専門医資格だけで手術の上手さを判断することはできない。
最後はやはり「その医師が何をどれだけ経験してきたのか」という個人の話になります。
だから、良いドクターを選ぶのは難しい
そして、ここからが美容医療の難しいところです。
「腕のいい医師を選べばいい」
と言うのは簡単です。
でも実際には、それだけではない。
どれだけ技術のある医師でも、性格が合わなければ、ほんの少し気になるところがずっと気になってしまうことがあります。
逆に信頼関係があれば、
「ここは少し気になるけれど、まあいいか」
と思えることもある。
ある医師の美的感覚が、自分にはぴったり合う。
別の人には合わない。
丁寧に細かく説明してほしい人もいれば、
「先生に任せます」
という人もいる。
ホテルに少し似ているのかもしれません。
リッツ・カールトンが好きな人もいれば、
フォーシーズンズが好きな人もいる。
ハレクラニが好きな人もいれば、
ブセナテラスが心地よい人もいる。
どれが一番優れているか、という単純な話ではない。
その人が何を求めているのかによって「良い」は変わります。
そう考えると、
美容医療におけるドクター選びも、少しアートに近いのかもしれません。
運命なのか。
縁なのか。
そこまで言うと少し大げさでしょうか。
「命を救うことだけが医療なのか」
そして『ダウンタイム』を見ていて、もうひとつ考えさせられたことがあります。
それが、
命を救うことだけが医療なのか
という問題です。
本来治療すべき病気があるのに、美容医療を優先する患者。
終末期の患者に美容医療を行うこと。
ドラマでは、こうした難しいテーマも描かれていました。
医師の立場から言えば、
治療すべき病気があるのであれば、まずそれを治療する。
これは基本だと思います。
でも同時に、こんなことも考えてしまいます。
もし美容医療を諦め、病気の治療だけを選んでいたら。
その人は、その後、本当に幸せに過ごせたのだろうか。
もちろん医学的には答えがあります。
でも人生全体として見たとき、その答えが同じとは限りません。
美容医療は、社会と切り離せない
容姿に強い悩みを抱く背景には、
本人の性格だけではなく、
学校や家庭環境、
人間関係、
自己肯定感、
そしてSNSの存在など、
たくさんのものが絡み合っています。
医師が手術だけで解決できる問題ではありません。
むしろ美容医療だけを切り取って考えようとすると、どこかで無理が出てくる。
「なぜ、その人はそこまで外見を変えたいと思ったのか」
というところまで辿っていけば、
これは美容医療の問題というより、
現代社会の問題でもあるのかもしれません。
全部を紐解くことは、きっとできません。
だから最後は少し投げるようですが、
美容医療とは何なのか。
きれいになるための医療なのか。
人生を少し生きやすくするための医療なのか。
それとも、社会が作った悩みに医療が答えているだけなのか。
『ダウンタイム』を見ながら、
そんなことまで考えてしまいました。
「ながら見」で始めたはずだったんですけどね。

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